慈徳寺

慈徳寺本堂

慈徳寺境内

観音堂

観音堂 信達三十三観音第六番札所

観音堂 嘉永7年(1854)十八世棟嶽祖梁和尚代建立 本尊は正(聖)観音。

「徳溢法師(会津・慧日寺の法相宗)の作なり。信夫の先祖慈徳寺殿の建立なり。其後三代目名倉庄司義次修覆す。3月18日祭礼。実に霊験なり」と『信達一統誌』にある。

現在の堂宇は嘉永7年の建立。材料は総欅材。特に彫刻が素晴らしく、天井絵も見逃せない。

堂内の観音像

堂内の33体の観音様は越後・村上の大工某と、弟子「光重」の作。

脇仏として箱に安置されている観音のように、もともと彩色豊なものであった。江戸中期以降の作と推定される。

愛宕堂

愛宕堂

 火の神様を祀る堂とされるが、元来は地蔵堂であった。

愛宕堂内安置像

寄木造座像 天明7年(1788)に寄進されたもの。工芸的価値が高い。(作者不詳)

座像石仏 延享2年(1746)の八世大和尚当時には既に現存し左寄木造座像より古い。(作者不詳)

その他

慈徳寺の種まき桜(福島市指定天然記念物)

本樹は、シダレ桜(別名イト桜)と呼ばれ、エドヒガンからできた園芸品種で野生ではない。

落葉高木で枝は横に開出し、小枝は垂直に下垂。開花の時期は桜の仲間では一番早く、花の色には、白色のものと淡紅色のものとがある、本樹には淡紅色の花が開き艶美である。

古くから佐原地区の人々は、この桜の花が咲き始めると、苗代に種をまいたので、『種まき桜』と呼んで親しんできた。

 太さは根回り2.7m、目通り2.5mあり、第一枝下がりが7mで、枝は東西へ6.8m〜9.0m、南北へ7.2m〜8.6mひろがり、枝下の陰面積は200ロある。樹高は12.3mで樹齢は200〜280年と推定される。

伊達輝宗公の首塚

天正13年(1587)10月8日、伊達政宗の父輝宗は、宮森城中で二本松城主畠山義継の謀反によって捕えられ、二本松対岸の阿武隈川畔、高田原において横死した。

政宗は父の遺体を慈徳寺に運び荼毘に付した。導師は現・山形県長井市の慈雲山資福寺の虎哉和尚。奠茶師は寿徳寺の昌室和尚。

 観音堂の北の大岩の上に、伊達家の家紋『仙台笹に雀』の略紋を刻んだ古い五輪塔(現在は二輪のみ)があり、「輝宗の首塚」といい伝えられいる。(史実は火葬地であるから「首塚」ではなく「灰塚」、「骨塚」と称するのが正確であろう。)

宝珠山寿徳褝寺は仙台市國見町に現存し、輝宗公の位牌を納めている。

地蔵菩薩

地蔵菩薩 座高138.5cm、台座70cm「享保10年巳(1725)八月吉天敬白」「施主・信州伊藤八郎衛、小川茂左衛門、佐藤十郎衛」とあり、大正時代に慈徳寺境内へ運びこまれたもの。

 太郎右衛門の打首5年前の作である。圧政に苦しみ、爆発寸前であった庶民の姿へ想いを至らせる。

「きわめて端正な立像である。円頂が沙門形(僧形)で、特にまなざしが慈悲深く優しい。宝珠をやや高めに捧持し錫杖(石造の為か太い)を持つ。信州石工作の市内での初出でもある」  『福島市の文化財』より

参道仁王像


信州高遠の石工は旧藩主保科正之の縁故をたどって会津に入り、一群は土湯峠を越して信達地方に至った。

次いで荒川を下って慈徳寺付近に作品を残した。佐原付近には信州の石工による作品が多い。